
子供達も教員も、ケイ先生のことをさっぱりした竹を割ったような性格だと感じていた。彼女の運動能力は超人的だったので、ケイ先生を怒らせてはいけないと子供たちの間で語り継がれていて、子供たちはいい子にしていたので、ケイ先生が長い説教をするようなことはなかった。彼女自身も、ネチネチ考えることが大嫌いで、それまで自分のことをさっぱりしていると考えていた。嫌なことがあっても、思いっきり走ったり、跳んだりするだけで、スッキリとしてきた。
でも、人間の性格なんて、もろいものだ。結婚して6年目、33歳になっても子供ができなかったときに不妊治療を始めて、今、35歳、2年以上の間、治療のための体への負担と高額な治療代、なにより、夫に申し訳ないと思う気持ちに押しつぶされそうな毎日を重ね「赤ちゃんが欲しい」という想いは、ドロドロな劣等感や後悔の気持ちを時を刻むごとに膨らめ続けた。
医師からは成長期にスポーツに打ち込み、身体を酷使し続けたことも不妊の原因となっている可能性があると言われた。運動することは体に良いことだが、何事も度を越えると害になる。スポーツ万能だったことで、身体を酷使している自覚が全くなかった。そして、スポーツで限界に挑戦し続けることが、不妊につながる可能性があることなど、教えてくれる大人は誰もいなかった。
夏休みに二人きりだった職員室でケイ先生はそんな忘れられない話をしてくれた。多くの女性先輩教員の話は、単なる自己顕示欲の吐き出しで、後輩はストレス解消の道具だとでも思っているのかという、意味のないアドバイスや助言を繰り返す中、ケイ先生は、自分の弱さをさらけだし、本音で語ってくれた。大好きな憧れの先生だった。残念ながらケイ先生が出産することはその後もなかったが、退職するまでケイ先生は、憧れの教師だった。