小学校の先生は、同成敗が大好きな人が多い。どちらにも反省を促すほうが、丸く収まるからだ。正しいことが何なのかを追求することなく、丸く収めればよいと考えている。当然「私に落ち度はないのに、なぜこんな奴と同成敗の扱いを受けなければならないのだ」と悪くない方は不満だらけだが、悪いことをする子に不満を持たせると暴れだしたり、暴言を吐いたりするのだから、良い子に我慢させる方が、指導は楽というわけだ。

保護者も同じ。問題のある子の保護者の方が、自分の躾は棚に上げて、学校への要求は理不尽なほど大きい。自分の子が、叱られるのは当たり前のことをしておきながら「先生が高圧的だ」とあいまいな責め方をする。「高圧的」と言われれば、こちらは指導者なのだから、広い意味では「高圧」には当てはまることも、結構ある。そして、正当な改善を求めるかのように、教育委員会や管理職に言いつけたりする。すると、事情を深く知ろうともしない教育委員会や管理職が、苦情を言われるということは高圧的なんだろうと決めつけてくる。そこなんだよ、教師がブラックだと言われる理由は。

少なくとも、部活もない小学校は、決して多忙がブラックなわけではない。残業が多すぎる小学校教員は、コソコソ話を職員室内でも廊下の隅でも毎日繰り返していたり、ちょっとしたリラックスになるやり取りではなく、1時間以上も続くおしゃべりが多かったりする。仕事に慣れない初任者などには、必死でやっても追いつけないこともあるから、もちろん例外もあるだろうけれど、中学高校と同じ多忙化解消は、必要ない。