

小学校の中では、暴力、器物破損、児童生徒による他児童や教師に対する性加害などが日常的に起きている。社会の中では犯罪として許されないことでも、小学校内となると「児童の未来を傷つけないため」という大義名分のもと、なかったことにされることはたくさんある。
漫画にあるようなちょっとしたトラブルなら、ほぼ、毎日どこかのクラスで起きている。教師としていつも感じてきたのだが、どんなに軽くみえる暴力であっても、暴力である限り犯罪であると認識させるように、きちんと裁かれなければならないのではないだろうか?
たとえそれが小学1年生の暴力であっても、ほうきやモップで人をたたく、筆箱や鉛筆を投げて、友達の顔に当てる等の危険行為を許していいのだろうか?
本人は相手に謝ることさえしないまま「まだ幼い」「個人の特性」などを理由として、終わることは多い。逆に被害者の方が、暴力を振るうきっかけを作った「言い方」などを、責められやすい。学校内の犯罪を隠蔽するための一番の権威者が校長である。私は担任として、児童だけではなく、時に、教師も犯している許されてはいけない犯罪を、管理職に逐一報告してきた。
しかし、納得できるほど取り上げてくれたことは、露ほどもなかった。管理職に煙たがられて、同僚にも協調性のない人と烙印を押される毎日。今回の報道で大々的にニュースになったのは、怒鳴られたのが校長であったためだと考えられる。児童の前で怒鳴ったことも大きいが、平社員である私の場合は、同僚による怒鳴りや暴力などを訴えても、校長は問題として取り上げてはくれなかった。
これが児童の場合、余計悲惨だ。漫画にあるように、話にならない教員に困って、他の先生に訴えても、すべての先生の上に立つ校長が、自分の管理下の暴力が表沙汰や問題になることを嫌えば、「暴力を叱れよ」と正しいことを訴えている児童は正しいのに孤立する。
しかも敵は教員集団。閉鎖された学校の中で、敵うわけもない。なんの武器も持っていない小学生にとって、教師集団が敵であれば、世界中が敵に見えてしまうだろう。「こんなことが許されて良いわけがない」状況が、多くの小学校で今も起きている。もちろん、ことの本質を見抜き、尊敬できる対応をする校長もいるだろうが、校長への昇進は仕事ができる人ではなくて、保身を何よりも大切にして、上司には決して逆らわず、
学校には、目立たなくともコツコツと努力を重ねる児童の味方になる第3者委員会が必要だ。真実を捻じ曲げない組織こそ、学校でなければならない。「大過なく過ごしたい」と願う校長は、児童同士、児童と教師、教師同士などで起こる、様々なトラブルにおいて、公平な審判や裁判官になってはくれない。真実を捻じ曲げない組織づくりを誰よりも捻じ曲げるのが、多くの学校で校長なのだ。
人が集まる学校は、トラブルが起こるもの。なんの喧嘩も起こらないのであれば、それは不自然で、例えば力で抑えつける教師が大きな力を持っているなど、道理が引っ込む無理を通している可能性が高い。公平に審判できない校長に大きな権威を与えていることが、学校のことなかれ対応や犯罪が止まらない原因なのだ。学校は真の被害者が相談する場を失くしすぎている。