善悪の判断がクリティカルで、本当に正しいと思う事を追求する子供なんて可愛くない。褒められれば喜ぶような、大人がコントロールしやすい子供達を育てたい。

「自己肯定感を高める教師であることを自負している人」の本音って、そんなところ。

賢い教師はちゃんとわかっている。良い教育とは、子供達を自分のやりやすい方向へとコントロールすることではなく、あくまで、本人が自己コントロール力を高めることであることを。

「褒められれば誰だって嬉しい」とか「僕なんか、この歳になっても褒められれば嬉しい」とは本当に60歳の裸の王様、退職間際の校長に実際言われた言葉だ。この校長「僕はあなたより長く生きているんだよ」と論破されそうになるとよく言っていた。

「誰だって嬉しい」とか「長く生きているから正しい」とか「そうとは言えない場面はいくらでもあるだろう」と叫びたくなる決めつけばかりだった。「60歳になっても、校長になっても、褒められることを求めるなんて、世の中あんたほど単純な人間ばかりじゃないんだよ」と、どれだけ罵ってやりたかったことか。

小学校の管理職って、中学高校より相対的に数が多いので、裸の王様なのに裸であることにも気づかないお山の大将でも、校長になっている。長いものに巻かれることがうまい人ほど出世する世界で「あなた、裸ですよ」って態度で示してきた私はかなり孤立していた。仲間になってくれる人は、立派な人ばかりだったが、かなりの少数派。子供達のために職員会議や校内研究会で、他の職員にクリティカルな意見を言ってしまう人は「大人げない」と黒い噂が絶えなくなる風土で、この県の教育に未来はない・・と感じ続ける毎日だった。