小学校の高学年生だった彼は「できることを自分でやる」ことが様々な場面で出来なかった。家庭訪問の時に彼の改善点を伝えると母親は怒り出し「先生はうちの子の良いところをみていない」と言っていた。「お子さんはやればできるんですが、面倒臭いと言ってはやろうとしないことが多い」と、できることを具体的に伝えたことは全否定ではないと考えていたのだが、この親子にとって「やればできる」は否定だった。やれることをやっていないという意味だから、確かに否定かもしれない。

彼はとても心の優しい子だった。人をいじめたり蔑んだりは決してしなかった。母親からすると、まずそこに触れて欲しかったのだと思う。

 私は彼の能力が低いと思っていなかった。国語で意見をノートに書いて発表する授業をすると、面倒なので何も書かないのだが、発表の順番が来ると何も書いていないノートを持って読み上げるフリをして発表するのだ。かなり長い文章を発表することもあった。時々、よく聴いている子に、何を言っているのか分かりにくかったと指摘されていたが、今は、低学年時から発表に対して厳しいことを言わないように周りの子たちも指導されているので、嘘が暴かれることはなかった。彼は、コツコツと学習することが大嫌いで、授業中に手を付けなかった課題を、できる分だけ休み時間中にやり切るようにと伝えても「トイレに行ったら混んでいたから、やっている暇はなかった」などと平気で嘘をつき、20分もの間ずっと混むはずはないと指摘すると、急に腹が痛くなったなどと、さらに嘘をついた。平然と嘘を重ねることも能力の高さと自己肯定力だと感じていた。

 私は担任になってすぐに、児童に「新しく担任になった私に皆さんのことを教えてください」と話し、自分を紹介する文を20文、書かせていた。この子は、この20文、全て自分を肯定的に書いた。「○○が出来る」「○○が好き」など、全てだ。20項目全て肯定するのは、何年も児童に書いてもらってきたが、この子だけだった。改善点を話すことを嫌う母親に褒められ続けた彼は、自己肯定感を高めることを重視して育てられただろう。でも、時間を読むのも面倒だと、授業中に平然とクラス全員に聞こえる声で発言をすることを、反省することが出来なかった。成長し続けることが重要な小学生の時期に、怠けることを全面的に肯定してしまうなら、自己を改善する必要はなくなる。もちろん、自分に厳しすぎてもよくないのだけれど、自己肯定感を高めるって、怠ける自分を許し続ける事ではないはず。

 本当の事を伝えたら母親に担任が怒られることは、担任が尊重され、待遇の適性が期せられているとは言えない。そういう保護者を説得するのが、管理職や教育委員会の大事な役割で、そのために管理職は実働部隊の担任より高い給料もらっているんだけど、正規で働いていた県の管理職はそんなこと全く分かっていない人ばかりだった。