
60歳の裸の王様とは、私が研究会で「褒めればいいってわけじゃない」と発言したことで、大ゲンカ状態だったが、私は褒めることを全否定しているわけではない。子供達にも、良くないところを探しては、指摘する子がクラスには数人いて「注意してあげている」と、本人はあくまで親切心であることを主張するのだが、標的になった子の方はたまったもんじゃない。人間だから誰にでもミスはあるし、なくて七癖、人には悪癖があるものだ。そこにいちいち付け込まれたのでは、生きる気力さえ失くしかねない。
ご褒美に100円をあげるアンダーマイニング効果だって、100円をそもそも副賞程度にしか考えていないのであれば、土台を削り取るわけではない。どんなに褒められたって「これは潤滑油だ、社交辞令も必要だ、そこに少しでも本音が窺えれば、褒められることはやっぱり嬉しい」などという理解が互いにあるならば、いがみ合ってばかりいても仕方ないし、良いところを認め合いたいという考えには大賛成なのだ。
けれど、それを理解することが難しい、判断力が発達途中の小学生を、その場しのぎに褒めることを乱用する校長が、私は許せなかった。褒めることによって育てられたクラスの中の裸の王様は、周りの子供達の心を蝕む存在になっていたからだ。校長が校長であるという権威を乱用し、理不尽なバリアを張って守ったクラスの裸の王様の周りの子は、どれだけ泣いていたか分からない。人格をゆがめられた子も、不登校になった子もいたほどだ。
そして、そんな時、60歳の裸の王様の一番の被害者は、不登校になってしまった子ではなく、その場では褒め続けられて小学生時に裸の王様となったその子であることに、60歳の裸の王様は気づかないまま退職した。「校長先生に出会えてシアワセでした」とお礼を言う八方美人の女性教諭の言葉に涙ぐんで喜びながら。「校長先生、裸だよ」とは児童にさえも指摘されないまま。ちなみにその八方美人教諭は、その校長が嫌いな私には、校長の悪口をさんざん言っていた。