
10年 20年 30年 さかのぼるほど、子供達は今ほど勝手ではなかった。今、公立小学校で教えていると、何か指示を出して「それでは始めなさい」と言うと、どんなに簡単な指示でも必ず数人の児童が立って教師のところまで来て、個別に様々な質問をする。「この場合はどうすればいいんですか?」「さっきなんて言ったか聞こえませんでした」etc.
「そのくらいのことは隣にいる友達に聞けばいいのに」とか「聞こえないはずないよね?聞いていないあなたが悪いよね?」と言いたいのを我慢するときもあるが、思わず言ってしまう。今は、教室が叱ってはいけないところになりすぎている。
だって個別最適なんだから教師は質問には広い心でいつ何時も応えなければいけないわけでしょ?一人一台パソコンをうまく利用すれば個別最適だって話なんだろうけど、パソコンって「そこじゃないよ」って答えがずらっと並んで、その一つ一つを読んでみると全く見当違いで、時間はかかるけど求めることに応えてくれないことなんて、どんだけあるかわからない。小学生なら尚のこと。それで、わからないことは何でも教師に聞きに来る。パソコンなんか使ったら、余計「先生先生先生先生」あっでもこっちでも。
付き合いきれないよ。そんなことに付き合わなきゃならないところが、教師という仕事の一番のブラックなところ。個別最適な指導を求めるなら、学校に集まって指導する今のやり方をやめるのが最初だよね?
一緒の教室で一緒に学ぶってことは、頭の良さも悪さも性格の良さも悪さも、いろんなこと、さらけ出すからこそ「そんな風に考える人いるんだ」って、それこそ本当の意味での多様性を学ぶことができるところ。だから私は学校は集団で学ぶところでいいと思う。特に小学生は、どんなに賢い子だって、まだまだ未熟なのだ。賢い子が荒い行動ばかりする子から学ぶこともたくさんある。質問するならみんなの前で手を挙げて質問すればいい。周りの児童にも共有できるのだから。教師は、特に授業中は基本的には個別対応する存在ではない。集団を相手にしているのだ。そういう規範意識が年々薄れて、今やもう、規範意識など、児童に教えるだけで高圧的だと保護者に叩かれる時代だ。
みんなの前で答えさせた、間違えさせたと、それは児童を馬鹿にしていると罵る保護者も増えている。授業中に間違えた答えを発表させ「間違えているよ」と理由を説明したら、それが児童を馬鹿にしていることになるのだろうか?誰にも間違わせない授業を作ることは、本当に子供達を成長させますか?