
NETFLIXで『101回目のプロポーズ』が放送されている。
「俺の人生なんてこんなもんだよ。なんか期待するとさあ、そのあとでいつもその倍ぐらいがっかりさせられるんだ、子供の時からそうだよ」「さまざまな辛く悲しい幼児体験が、何事もすぐに諦めてしまうという、僕という人間をつくったんだなあ」というのは、ドラマの第2話、ボーナスを全部競馬に突っ込んでしまう衝撃のラストへとつながるシーン。そんな達郎が、最終回では「生まれ変わってもまた星野達郎でいいかな」と弟に告げる。
もし本当に真の教育が子供のころから褒め続けて、子供のころから自己肯定感を高めるものだとしたら、このドラマは多くの人々の共感を得たり、34年後まで何度も再放送されたりしないであろう。
ドラマ序盤では、達郎をおっさん呼ばわりして、馬鹿にしていたバイオリニスト、薫の妹、達郎の弟、みんな達郎のあり得ないほどの懸命の努力を間近に見聞きする中で、他人事ではなく我が事のように巻き込まれていく。放っておけなくなっていく。「人を愛するということ」がなにものであるかを背中で教えてくれる星野達郎の生き様が、周りの人々の心にも竜巻のように激しい感動を吹き荒らしていく。出会いとなるお見合いの席では、すらっとした体型のものすごい美人と、どっしり体型のおっさんの、大変不釣り合いな2人なのだが、最終回冒頭、薫の「彼にふさわしくないのは私の方」というセリフには心から頷いてしまう。
若いころから、ちやほやされて、大物扱いされて、自己肯定感を高めすぎてきた人間は、性加害の自覚もできないほど、中年になっても自分はモテると勘違いをし続けた。歪んだ自己肯定感を増長させたり、コスパが悪いから結婚なんかしないなんて言ったりする、悲しいくらいちっちゃい若者には、このドラマを観て、星野達郎とともに成長することで「人生を賭して人を愛する」ということを学んでほしいものだ。